田植えの準備/田圃の整備を進める。01

溝の整地

5月26日(日)。田圃の境の溝を整地する。今まで牧草地として、貸していた土地なので、溝が土や雑草で覆われている。それらをきれいに元の戻す作業だ。

 

沢山の田圃がそうだと大変だが、ここ一枚だけなので、ぼちぼちやる。

溝は鍬やスコップであげて行く。初夏の午後の太陽が水面に反射する。

 

基本一人でやる作業。私は昔から嫌いではない。こういう作業は瞑想的とも言える。いろんな想念が訪れては消えていく。

 

ラジオ持って行かない時は、風の音だけが聞こえる。

石垣の間の草は、取れそうで仲々とりにくい。根気よく一つずつ根を鎌でくすして取って行く。

 

石と石の間にはヘビとかいそうで、最初に鎌で安全を確かめてからやる。ゴム手袋は必須である。

 

中が暗くて見えない石の間は地下世界に繋がっているのでは?と、地球空

空洞説にも興味ある私の空想は、ハテシナイ。

 

農作業のいいところがあるとすれば、自分がやった作業が一目瞭然で、確認出来ることだ。

 

アナタも経験がおありのように、現代の仕事で、これは希少。達成感を感じられない仕事は山のようにありますからね。

 

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コメント: 4
  • #1

    北島栄太郎 (土曜日, 13 6月 2009 15:49)

    見るほどにすごい!
    明日は、お世話になります。
    確かに達成感にはほど遠い仕事ばかりです。
    一汗かかせていただきます。(@。@)””V

    会社のパソコンより

  • #2

    ラフィキ (水曜日, 22 7月 2009 21:09)

    綺麗になりましたね。振り返った時の達成感・・言葉では表現できないものがありますね。
    ただ金に換算すると・・膨大な時間・・空しくなることがありますよね。
    爺は黙々と何も考えないで草取りを良くやりましたが、無になって過ごす時間って、凄く意義ある時間のようになんども思いましたね。だから都会での仕事も頑張れた。何か単なる草取りが、明日への活力に繋がっていたのだな・・と考えることもしばしばでした。

  • #3

    planetary-n (金曜日, 14 8月 2009 01:55)

    planetary-n (火曜日, 16 6月 2009 22:04)

    栄太郎さまへ。土日は、まことにお疲れさまでした!。栄太郎さまがこれほど、村人の格好が似合うとは、永年つき合ってても知りませんでした。恐れ入りました。その天性の愛されるお人柄。そう誰にもあるものではありません。いつまでもそのままでいて下さい。私はあなたとこの世で知り合えた人生に感謝してます。そして、そう思う人は少なくないはずだと確信してます。旧友NもU大先生もみんなアナタのことが好きなのだと思いますよ。ありがとうございます

  • #4

    planetary-n (金曜日, 14 8月 2009 02:12)

    ラフィキさま、コメントありがとうございます。
    農業は(いや、第一次産業はか?)お金に換算出来ない作業が何と多い事か!これは、やってみた人でないと判りませんね。お金、経済第一主義の物差しを農業に当てはめること自体が違うのではないかと思います。ではそれに変わる物差しとは?と問われたら、即答出来ないところがダメなところだと思います。ここは農業者がちゃんとその誰もが感じている、凄く意義のある時間体験を言語化で来てないと、経済至上の論理に負けてしまうでしょう。もっとも負けるが勝ちという考えもありますが…。

    ラフィキさんが意義のある時間を何度も体感されたというのが、草取りの正しいあり方だと思います。

    大地とじかに接することで、大地とアースし、不要なエネルギーを流し、大地からの元気なエネルギーをチャージしているのだと思います。じき、誰もがわかる言葉で解明されていくことでしょう。