夏草繁る♯13 FINAL -1

最終草刈りを始める。

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10月3日(土)。この場所では、これが最後であろう、草払いをやる。今刈ると、もうそんなに草は生えない。実際、最後に刈った8月からはそうあまり伸びてはいない。

 

草との戦いの季節が終わろうとしている。

 

 

後。
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大体4月後半〜9月末、春夏の間、約半年の長期攻防戦であった。

ここはブログ8月18日にやった場所。その前は7月13日(ブログ未UP)

その前が4月22日

前。
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ここは8月7日にやった場所。その前は5月11日にやった。(ブログにはUPしてないが)。

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平均すると、5月から10月の初めまでに同じ場所を都合3~ 4回は草刈りしていることになる。

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コメント: 4
  • #1

    notch+i (月曜日, 05 10月 2009 14:53)

    「農業」という営み(この場合は農業と言うより、里山生活と言うことになるのだろうけど)には、こうした「シジュホスの神話」的作業にどこまで真摯に対応できるかが適応力への判断基準になるのですよね。
    当地へ、Iターンとかで脱サラ農業を目指して来られる方が、挫折していくのは、ほとんどそういうことを理解せずにやってきた方々です。

    子どもの頃、夏休み、伯母の家に居候しているときに、畑の草取りを手伝わさせられて「おばさんたちはこんなことを毎日やっているの?」と尋ねてて、従兄弟や伯父伯母に笑われた経験があります。
    広い畑で、畝ごとに草取りをしていってやっと終わったと思っても、雨でも降れば最初に取った畝はもう草だらけだったのですから。(笑)

  • #2

    planetary-n (火曜日, 06 10月 2009 00:09)

    notchi+iさま、コメントありがとうございます。

    たとえ、挫折されたとしても、経験されて良かったと私は思います。少し深く、農業のことを見れるようになれますし。憧れる方はどんどんとりあえずやれば良いと思いますよ。やらずに後悔よりやって後悔した方が、全然位相が違うというか…。結局、経験することが大事なのかもしれません。

  • #3

    ラフィキ (火曜日, 06 10月 2009 14:22)

    何時お寝んねするか分からないパソコンで・・。この一連の夏草を思いだしています。
    農業体験・・・思うままに書くと、・・。私は戦争が大嫌いですが、この当時の農業はどうだったのか。誰もが鍬をふるって食糧増産に頑張った時だったでしょう。この様な経験をしていれば、「農業は良いなあ・・・」何て感傷的な行動は起きないだろうと思うのですが・・。この戦争が終わって65年・・誰も体験した時代から半世紀以上も過ぎました。だから農業のことや生産物価格に関しても無頓着になっていますよね。少しでも値上がりすれば高い高いと叩かれ、生産者が付けたい価格は無視されているのに、・・。でも愚痴にしか聞こえないのでしょうね。士農工商の時代から政策は今も変わっていないように思います。生かさず殺さずをモットーとしてきたのでしょうね。今の選挙も同じでしょう。農業の地帯からの圧倒的な支持を受けてきたOO党、今回は自由に動かない農業人が出て来た。政変でした。
    もう一つ、軍時代の映画などを目にする時、汽車に乗って座っている若者は皆無ですよね。きちっと起立しています。今若者は出入り口に座っているのを多々見受けます。何となく規律の無さを感じます。何とかならないものでしょうかね。まあ、電車の中での化粧もおかしいですよね。変なコメントになりました。

  • #4

    planetary-n (火曜日, 06 10月 2009 21:03)

    ラフィキさま

    戦後から最近まで、地方の農家など、まず顧みられなかったのでは?と思います。
    映画『Allways三丁目の夕日』ではありませんが、それこそ東京タワー建設が始まる高度成長の時代から、集団就職や金の卵などといって、東京を始め大都市に地方の人材を都市が吸収していったのではと思います。その方たちが都市で今退職し定年を迎へ、そのまま居着いてるといった時代かと思います。

    お陰で、地方には三ちゃん農業と言ってたように爺さんばあさんとお母さんが、農業をやるという時代が、かなり長かったのではと思います。都市vs田舎のシーソーは約50年以上、都市の方に傾きっぱなしだったと思います。

    それが、ほんの近年、不動に思えたその均衡が少し田舎の方に傾き始めたような感じですね。傾きが逆にはなってませんが、シーソーらしく揺れ動いている感じです。田舎とかに縁もゆかりもない、全く若い世代が農業を、新鮮に見始めているのだ思います。

    魅力に感じている若い世代の人たちが、農業を変えていくことに期待しています。

    そういう一方、電車の中の化粧、ジベタリアンの若者もいますね。明らかに、目つきがラリってるように異常な若者も、さすがに田舎にはいないけど、都市にはいますね。

    同じ世界に生きていても、意識のありようで、大きく棲み分けが出来つつあると私は思います。