今年最後の野の花。

石蕗(ツワブキ)の花。

11月4日(水)。 唐突デスガ、一日が30時間ほしい!! マジに。HPを作っていると時間が経つのが早い。作業が遅いのであっという間、突風の如く過ぎて行く。過ぎて行くと言えば、四季折々の花の季節もまたたく間に終わって行く。春からこちら、色々と花を撮って来たが、このツワブキの花が、野の花では一番最後に咲く。

 

少し日影になる山の斜面などに多い。惑星ハシグチは、その土地の大半が、五蔵岳(455.7m)という山の緩やかな北斜面の裾野にあたり、おおむね半日影の土地が多く、この季節チョットした道の山斜面には、たいていこのツワブキの花が群生している。他にもう花らしい花はないので、この鮮やかな黄色の花はよく目立つ。

 

上掲の画像は自宅裏の道沿いで収める。若干、薹(とう)が過ぎた感が在るのだが、自然に咲く最後の花として、カメラに収める。この花が登場すると、「ああ、もうすぐ冬だなぁ〜」と思う。木立の中を低い太陽が駆け抜けていく。冬が来る前に、収めておこうと思って撮影しまシタ。

 

 

 

 

 

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コメント: 6
  • #1

    notchi+i (金曜日, 06 11月 2009 11:20)

    石蕗は私の中では春先のイメージです。春先になると、母は近所のおばさん達と野山に出かけ、一抱えもの石蕗を持ち帰っていました。「そんなに多くの石蕗、売りにでも行くのか?」との家族の非難の目を余所に、母は縁側でおもむろに皮むきを始める。指先を真っ黒にして。やがて食卓には石蕗と揚げすり身の煮物が並びます。そんな母も今は施設で寝たきりです。若い頃はあまり美味しいとは思わなかった石蕗。今では春になると食べたくなりスーパーの総菜屋で買ったりしますが、懐かしいのは母の味です。晩秋の黄色い花がその石蕗の花であることを知ったのは大人になってからでした。

  • #2

    planetary-n (土曜日, 07 11月 2009 03:31)

    notchi+i さん、いつも、コメントまことにありがとうございます。

    

今回のブログは、夜中にUPしてたのですが、翌日見ると、誤字や脱字、文章が明らかにオカシイところなどが、何時にも増して多かったと思います。ちょっとひどすぎる。一応今は訂正しましたが、その、訂正前の、日頃も多いのにさらに輪をかけてひどい文章を、解読?して頂き、そしてコメントまで頂戴し、notchi+i さん、本当に恐縮です!、失礼しました!感謝します!.

    …そうですか、母上様…。おつらいこととお察し致します。今のnotchi+iさまに少し先の自分を投影する思いです。後悔のないよう日々生きねばと思い直します。お話して頂き、深く感謝致します。

    このコメント、最初の、文章の話を書いたところで眠たくなって、一時保留にしたつもりでPCを閉じてました。保留にしたと思ったら、眠くてぼけててUPしてました。約7時間後気付きました。その間に、notchi+i さんが、ここを御覧になっていたら、なんて、こう〜、そっけない、自分のことだけのコメントなのだと思われたことでしょう。ごめんなさいです。かといって、再びはここを見ないでしょうから、いやはや!です。notchi+i さん失礼しました。

  • #3

    ラフィキ (水曜日, 11 11月 2009 16:09)

    つわぶき・・綺麗ですよね。新芽を醤油につけておいて食べたことを思い出します。子どもの頃の食べ物としては、美味しいなんて感じではなかったですよね。
    山ウドも食べ物として嫌いでしたが、夏に新芽の天ぷらを食べてからは、好きになりました。何時も田舎に帰ると、新芽を掻いて取っておいてくれる母も、今は他界しました。田舎の味になって私の中に生き続けていますが・・。 

  • #4

    planetary-n (水曜日, 11 11月 2009 23:45)

    ラフィキさま、素敵なコメントありがとうございます。

    最近私も思うのですが、故郷=母親 ではないか?と仮説を立てています。子供、とくに男性にとっては、故郷とは母親のことなのではないかと…、なので、母親を無くした時、自分の故郷の喪失感、望郷の念が生まれるのではと。

    ベストセラーになってドラマ化、映画化になった、リリー・フランキー著『東京タワー〜オカンとボクと、時々オトン〜』は
    電車なんかで読んでいたら、人様から涙目になっているのを見られてしまう危険がある、と、言われた程の小説でしたが、この中でも、『男は、母親を無くして一人前だからね』という主人公の女友達の台詞があります。たぶんその通りだと思っています。

    そういう意味では半人前の私は、自分も母親を無くしたら、相当いろんなことに気付きだろうなぁ〜と思います。その存在の大きさに愕然とするのだと思う訳です。

    母親がいなくなったら、この土地に住む理由があるだろうか?とも思ったりします。他の兄姉が帰省して来るのも母がまだ生きているからであって、母が亡くなれば、私一人の所へ来る理由もないのでは?などと思ったりします。

    ともあれ、母親の存在は大きいですね。とりあえず、手料理を習い始めています。

  • #5

    ラフィキ (金曜日, 13 11月 2009 13:41)

    母親・・そうですね。田舎という感じは爺には似合わないかも知れません。
    母に会いたくて出掛けていくことが苦にならなかったのですが、今は墓参りに行くのも億劫になるような気がしますよ。まあ、ただ姉が居ますので、母代わりに会いに行くような気がします。
    田舎暮らしの何倍も東京暮らしが増えると、心の中の田舎になってしまったように思います。まあ、現実は田舎風景と言うより団地になってしまったことが、爺の心には落ち着きがない田舎になってしまったからでしょう。
    母の偉大さ・・一日いちにち大事になさって行ってください。

  • #6

    planetary-n (火曜日, 17 11月 2009 00:11)

    ラフィキさま、感慨深い、コメント、まことにありがとうございます。

    風景は大きいですね。これは見逃せない事柄です。

    私は福岡に約20年間居て、その間住居を4回変えましたが、最後のアパート以外の3カ所は、もう、その痕跡さえない位、または、その地域全体が大きく変貌してしまいました。都市で生活していると、そういう事には出くわしますね。もう、住んでた界隈やアパートは、自分の記憶の中にしか存在しないわけですね。

    アパートの台所から、何時も見えていた大きな桜の木があり、春は満開の花を、夏は蝉の声を、秋は枯れ葉を、私に見せてくれてお気に入りだったのですが或る日、大きな機械でバッザリ切られてしまいました。毎日見ていた樹なので、自分が身を切られるような思いになりました。
    何かを見ているとき、自分はその見ているものそのもの?ではないかと日頃思ったりしてるので直さらつらいことでした。

    だけど、自分は一介のアパーと住人にすぎません、その土地の所有者でもありませんので、切られても何も言えません。その何処にもぶつけようの無い怒りに似た思い…。風景は亡くなってみて、始めてそれが自分の一部だったと気付きます。

    私と私以外の境界線はどこにあるか?これは重要な質問です。たいていの方は皮膚がその境界だと思っているかもしれません。それは、科学的に言っても正解ではないのであります、ということに大ていの人たちは気付いてさえいません。


    あと、自分が長年住んでいたアパトーが区画整理で更地になったところを見たとき、『わぁ〜自分はこんな狭い土地の上で何年も生活していたのか〜!』と愕然とその、更地の自分の部屋あたりを見ていた事があり
    ます。

    しかし、こういうものいい経験だと思います。『一切は変化して行く』「諸行無常」をいやでも学ばせられます。


    私が育った田舎の風景は、幸か不幸が、自分が生まれてから、(いや、それ以前からか?)基本的な風景は殆ど変わっていません。今後も、その基本の所は、殆ど変わらないだろうと思います。マンションが建つなんて考えられないし、団地が出来ることもないと思います。そういった意味では、幸せなのかもしれませんが、それが当たり前だと思って、その有り難みに気付いてない人は多いでしょうね。それらが、いかに貴重なものなのかは、この地域以外に住んで見て始めて判ることですね。