死から逆算する人生

新年早々の葬儀。

100104~5(月)(火) 新年早々二つの葬儀があり、出席する。

一つは惑星ハシグチの住人のおばさん。元旦の早朝亡くなり、この方のお葬式の受付を、村から、お通夜と告別式、それぞれ3人ずつ出てやることになっているらしい。受付は比較的若い人たちの担当になっていて私もやる事に。もう一つの方もご町内のご老人。お葬式の受付はこちらに戻って来て2回目。

 

この正月は寒かったせいか、私の町では人が立て続けに亡くなった。お風呂場で亡くなった方も少なくない。惑星ハシグチのおばさんもそうだ。皆様もお気をつけあれ。とは言っても都市のマンションのお風呂は暖かい。田舎の家は基本夏向きなので、お風呂場はどうしても寒いことが多い。暖房などして温度差をなめらかにしたいところ。

 

都市空間でも、毎日沢山の方が亡くなっているのだが、それらは余り表から見えないような構造になっている。都市には比較的若い人たちの姿が多いせいもあるが、自分が意識的に見ようとしない限りそれらは見えて来ない。

 

都市が若者を吸引し続けるので、都市部以外の地方都市や市町村では、とにかく至る所にご老人を見かける。佐世保の街を歩いても、アーケードはご老人ばかり。だが街に出て歩ける人はまだ良い方。母の病院の検診に付き添って行くと、待合室は、これまたコンサート会場のようにご老人で一杯、あふれんばかりだ。「日本は本当に老大国になったのだなぁ…」と実感する。病気や死がとても身近なのだ。

 

惑星ハシグチではその村の方がお亡くなりになると、ひと通りの葬儀の後、故人宅に村中の方が集まり『慰茶湯(イザト)』いう席が儲けられ、故人を忍び、慰める意味の会食が行われる。現在は、仕出し料理もあり、かなり簡素になって来てはいるが、村の女性の方はその食事の用意をしなくてはならない。

 

また、その年の『肝いり』と呼ばれるお世話係2名は、亡くなった人が出た場合、葬式お手伝いの采配等とても忙しい。私は今年『肝いり』なのだが、今年の引き継ぎの会が未だ行われておらず、去年のお二人がお忙しそうに采配されていた。

 

私はこれまでに、友人や知人を結構沢山亡くして来ている。また、他界した祖母や父や姉も、他の身内とともに介護して来て、かなり死を(厳密に言えば肉体の死を)身近に感じて来た。死を身近に感じて生きるのは良い事だと思っている。自分の、この惑星三次元で残りの滞在時間を、いやではないが、いやがおうにでも再認識する。今年はお正月から、さらに認識させられて、ある意味、幸せなスタートと言えるはずだ。感謝!