最も遠い時代へ〜32年前の忘れモノ

遥かなる距離、幻の学生時代

★新カテゴリー [遊星年代記](ゆうせいクロニクル) デス。アーサー・C・クラークよろしく『幼年期の終わり』あたりから始めればよさそうなものを、イキナリ、1978年から、始めマス。

マチケンさんから送られて来た、当時のポスター。私は無くしていた。感無量! 感謝!
マチケンさんから送られて来た、当時のポスター。私は無くしていた。感無量! 感謝!

010203(火) 遊星年代記 [ 001] 1978年 東京

1978年、東京郊外、秋、11月2日~5日、在籍してた大学の学園祭。当時、私は演劇研究会にいた。会の仲間たちと夜を徹して作った野外青テントの芝居小屋で、友人から借りたアンプやカセットデッキを舞台の後方にセットし、上演する芝居の裏方で音響効果を担当していた。

 

演目は、唐版『由井正雪』。唐版(からばん)というのは、ご存知の方も多いと思うが、日本のアングラ芝居の奇才、唐十郎、その演出という意味。当時、氏の率いる『状況劇場』は、ガンガン芝居打っていて、まだまだスゴイ人気。根津甚八、小林薫などが活躍していた。

 

四日間の学園祭の芝居も成功を納め、裏方のお役目もなんとか終了。祭りの後の撤収作業後は、脱力感もあってかあまり大学に行かなくなった。その後、色々事情があって一年後には中退。 あんなに憧れて入った大学なのに、短い期間で私の大学生活は終了。一気に現実の社会生活がはじまる。

 

このあたりの年代は、自分史の暗黒時代(苦笑)で、私の中では最も遠く、最もシールドされていて、今までまともに振り返らなかった時代。皆さんにもそういう時代、それなりにあるのでは?と思う。(ナイか!)それを30年経った今、少しづつ振り返る。とある時代を冷静に検証するには、やはりある程度の時間の経過が必須のようだ。

 

さて、私はある一本のカセットテープを最近まで所持していた。それは32年前、その芝居で演劇部の先輩が作曲し、皆で歌われた、多数の芝居のオリジナル挿入歌と上演直前のリハーサル風景が録音されたテープだ。歌っていたり台詞を喋っているのは、もちろん当時の大学の演劇研究会のメンバー。

 

32年前とは思えない良い録音状態。ついこの間録音したかのような臨場感。貴重な音源だ。何故私がそれを? 当時音響の担当だったせいか、カセットテープが私の所に紛れ込んで来てて、学園祭以後そのままになっていたからだ。

 

その後、私は大学から遠ざかる。その間にも当時の誰かにお渡ししようと思った事もあったのだが、長い年月の間には、住む場所も東京を離れ、大学の名簿も度々の引っ越しで紛失、気付くと、全く繋がりをなくしてしまっていた。

 

私がそもそもあの大学にいた証拠さえもあやふやなものになっている。それを証明するものが本当に少ないからだ。「オレは本当にあそこにいたのだろうか?」まるで前世での出来事のように心もとない。しかし、このテープはしっかりある。何故、私はこれを持っているのか?、私がそこにいたから。1978年、あの場所に…。

 

月日は流れ2009年2月、実家にて遅ればせにネット環境になる。ネットはご存知のように、未来はともかく過去のあらゆる事柄は検索可能。そこで、私は大学時代同じ演劇部で、もの凄くギターと歌がうまかったMさんをある日、調べる。

 

彼が大学以後、東京、中央線沿線のライブハウスで演奏してる事はその後知っていたからだ。ライブをやるMさんを想像するのはたやすい。何故なら32年前、その大学の演劇部練習室で氏が披露するウディ・ガスリーやアーロ・ガスリーをはじめとする、アメリカの古いトラディショナルな名曲の数々は、その独特の懐かしい旅人のような野太い声で、実に味わい深い比類なきサウンドを、その当時からすでに燦然と放っていたからだ。

 

それは日本の西の果てから来た私の狭い音楽観が、一気に崩壊するカルチャーショックでもあった。特に『スタンド・バイ・ミー』や『ミスター・ボージャングル』という名曲は絶品で、私の中ではMさんの歌と演奏がマスターピースなっている程だ。Mさんと芝居の挿入歌と作った先輩のIさんと、CSNYの『自由の値 -Find The Cost of Freedom 』を3人でハモッたのは私の中では素敵な思い出になっている。

 

…それはともかく、検索結果は沢山ヒット。氏は今もずっと活躍されている。そのMさん、『町田謙介』さんは“多方面のジャンルをどん欲に吸収し独自のスタイルを吐き出し続ける進行形ブルースマン”とネットでは紹介されている。HPは『マチケン通信』。その魂をしぼり出すようなライブ演奏は、北海道のTVに出演した動画これを始めYouTube等に沢山UPされている。

 

今年になって意を決してやっとメールを出す。かつて大学の同級生、同じクラブ仲間だったにせよ、今や、氏は実力あるミュージシャンだ。若干の気後れもある。突然申し訳ないが、自分を名乗り、当時のテープを持っていること。そしてそれをお返ししたいこと。永く私が所持して申し訳なかったこと。マチケンさんしかラインがないこと等も伝える。

 

マチケンさんは突然の30年以上もの過去からのメールに、たぶん戸惑われたと思うが、中退した私を、有り難くもどうにか思い出して頂く(笑)。

そうやってようやく、つい先日、32年振りに、1978年、秋のカセットテープは、より相応しい人たちに戻っていった。

 

マチケンさんからは、その後懐かしい当時の芝居のポスター(私も所持してたが無くした)それから私も氏も写っている写真を添付したメールを頂く。昔の仲間たちに今のメディアにコピーし、渡して行きたい旨だった。

 

これで、やっと私の中の、最も遠い時代が落ち着くべき所に落ち着いた気がする。32年前の大切な忘れモノを届けられ、感慨無量。

 

突然の申し出にも関わらず、心良く丁寧に対応して頂いたマチケンさんに深く感謝!、もともとスゴく良い方だった。そして最も記憶の遠い時代に感謝!さらにはネットに感謝!あの時があって今がある。ありがとうございます。


コメント: 6
  • #6

    planetary-n (水曜日, 10 2月 2010 23:10)

    HBさん!、初めてのコチラへのコメント、まことに!ありがとうございます!HBさんは一昨年冬、あがた森魚惑星漂流60周年ツアーで劇的に再会した、あのHBさんですよね〜。わぁ〜、どうもありがとう!今年は行きますよ〜『マイティガル』!そうそう、このサイトで、一度きっちり御紹介させて下さいね!

    あの、バードモナミ時代はまだ振り返っていません。手つかずのままです(笑)。HBさんのアジアの旅の話、何時か聴かせて下さいませ。

    『フランドル農学校の豚』って博多に来た事あったのですね。すいません勉強不足で…、いやはや世間は狭い! ともあれ感謝です。今後もどうぞよろしく!

  • #5

    HB (水曜日, 10 2月 2010 21:25)

    ハッチを開くのに1年かかった惑星探査の旅。ずっとカバンの中に眠っていたチケットは、もうボロボロでごめんなさいです。まずつかまったのがマツケンじゃないマチケンさん。どんな人?ってプロフィール読んだら、いきなりNANYA-SHIPが出てきたでしょびっくりです。主宰の女優さんはお友だちです。人形劇「フランドン農学校の豚」を博多で主催したことあるんです。あの芝居の音楽を担当されてた方だったんですね、なんとも世間は狭い。nさんとの再会も大した狭さでした。宇宙の塵としてが接近するもすれすれでしないも、質量と時間のなせる不思議だと思います。また、測候所寄らせてくださいね。

  • #4

    planetary-n (金曜日, 05 2月 2010 00:28)

    tsuyoshiさん、ありがとうございます。
    本当にお近くにいらしたのですね…。私は三多摩〜武蔵野エリア好きでした。立川あたりですれ違っていたのかもしれませんね。この辺りの年代はデータが濃密に圧縮されている感じで、薄皮を剥ぐよう丁寧に解凍する必要を感じてます(笑)。データが柔らかくなってふやけた頃、また再編集出来たらと思います。どうぞ宜しくデス。

  • #3

    tsuyoshi (木曜日, 04 2月 2010 23:53)

    オールナイトロックフェスといえば、その当時住んでいた場所から、車で15分くらいの八◎子市にある某美大ですね。そうですか。。。ほんとに近くにいたんだ。その当時はWES・バンドというバンドをやってて、ディープ・パープルとかコピーしてました。
    八王子は最も近くにある楽器店が放射線道路のところにあったので、度々出かけてましたよ。いまだに学園都市ですね。
    福生も隣町だったので、横田基地のカーニバルとか行きました。残念ながら、キングコングパラダイスは実際に見たことがありません。
    今みたいに携帯とかあったら、nさんと東京でも会ってたかもしれない。でも、それぞれの時代をそれぞれに生きたのだから、よしとしましょう。
    では、また。 おやすみなさい。 tsuyoshi

  • #2

    planetary-n (木曜日, 04 2月 2010 03:00)

    tsuyoshiさんコメントありがとうございます。

    ええ~tsuyoshiさんはすでに東京にいらしたんですかぁ~、いやはやです。銀座山野楽器は今でも有名ですね。美術館とか画廊とかで都心部に出てましたが、大ていは三多摩エリアと中央線沿線で充足してたような気がします。

    吉祥寺に『ぐぁらん堂』といって当時フォークのメッカ見たいなライブハウスがありバンジョーが好きな友人と行った記憶があります。しかし誰にを聴きに行ったか憶えてません(笑)。

    あとは一橋大学の学園祭で泉谷しげる、RCサクセションを。自分の大学は学園祭オールナイトロックフェスという過激なもので1978年のそれは、真夜中に上田正樹とサウストゥーサウス、福生のキングコングパラダイス等が出て、地響きがするくらいのノリだったのを憶えてます。

    TVはなかったので、FM東京の『渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ』というのを毎晩なぜか良く聴いていました。私は殆ど興味を示さなかったですかインベーダーゲーム元年でしたね。ビリー・ジョエルが『ストレンジャー』を歌っていて、『未知との遭遇』『スターウォーズ』がヒットし、パルコとか西武資本が文化を席巻していた時代でした。ってまとめてどうするんでしょう(笑)。

    このあたりビターな思い出も多く、うまく語れないのであります。お許し下さいね~。また別の切り口でこの時代、語れたらと思います。

  • #1

    tsuyoshi (水曜日, 03 2月 2010 22:22)

    1978年かぁ・・・ 私は21歳くらいかな(@_@;)
    nさんも東京にいたんだね。たぶん凄く近くにいたんだと思う。その頃の私はライブハウス通いしてたかな。といってもお金はあまり無いから、銀座山野楽器や日立Lo-Dのショウルームで毎週のように開催されるライブで、ハリケーン・やまがたすみこ・西島三重子とか聴いてたなぁ。。。。nさんは演劇をやってたんだ。知らなかった。nさんのコメントの最後にあるように、あの時があって今があるんだと思います。
    この前、森繁久弥さんが亡くなる前のインタビューで30数年前のことを振り返ってたけど、80代後半のインタビューだったから、今の俺たちの年代を振り返ってたんだよね。と、いうことは俺達には、いま振り返る時間と同じくらいの未来があるということなんだよね。
    凄くない? 
    32年前の忘れ物がもとの場所に落ち着いて良かったね。その時のnさんの存在があったからこその、現実ですよ。
    今夜は32年前に購入した西島三重子さんのアルバムを聴きながら、ある10年間の事を考えています。
    今日はいい話をありがとうございました。