遠い海の記憶

日本本土最西端の岬を旧友と訪ねる。

100520(木)雨〜曇り 昨日から旧友amberクンが福岡から遊びに来ている。天気はあいにくの雨だが、その天気のお陰で時間がある。なのでドライブへ。九州の西の果て松浦半島の海沿いを廻って見ることにした。その先には、日本本土最西端の岬(佐世保市小佐々町神崎鼻)がある。何も急がない。特に何かをするわけでもない。そんな時間をぽっかり作れた巡り合わせに感謝の一日!

これは晴れた時の日本本土最西端の公園。向こうは平戸島、そして果てしない東シナ海だ。
これは晴れた時の日本本土最西端の公園。向こうは平戸島、そして果てしない東シナ海だ。

 

旧友amberとは(いつもクンをつけているのだが、実際は互いに呼び捨ての方が、しっくり来るので今日はそうする)高校時代同じ美術部だったのを皮切りに一緒にサボったり、その後の東京生活でも同じ街に住んだり、また自分が福岡に行くと、その後再び期せずして福岡に転勤して来たりで、人生に於ける時と場所を一番共有して来た。

 

何か縁があったのだろう。私共はとにかく散歩が好きで、二人で、ありとあらゆる「場所の気配」を求め、あてもなく歩いて来た。まだ、「路上観察学会」「廃墟マニア」や「ブラタモリ」などが世に出る前、十代後半にして既に逍遥派だったのだ。

 

…それは佐世保の起伏に富んだ街並だったり、東京都下、三多摩地区や、都心部、あるいは下町、或は横浜、或は福岡、散歩しながら湧いて来るイメージと感覚を互いに言い合いながら…「あそこは何か気配があるね…」「ここはちょっと夢の町っぽい…」等々。

 

私共は、表通りより、路地とか、炭坑跡とか、用水路、運河、理髪店や煙草店等、昭和初期の建築群 鄙びた漁港、工場跡等をあてもなく散策していた。気分は、『猫町』に迷い込む萩原朔太郎だったり『檸檬』や『Kの昇天』の梶井基次郎だったり、『月夜のでんしんばしら』の宮沢賢治だったり『黒い郵便船』の別役実だったり。『ドグラ・マグラ』の夢野久作であったり『インスマウスの影』のH・P・ラブクラフトだったり、鴨沢裕仁の『クシー君~』よろしく稲垣足穂的黄昏時に『星を売る店』を探したり、『ねじ式』を始め、つげ義春的風景をあちこちに探したり、あるいは唐十郎、状況劇場的、記憶の在処を探したり、二人とも大好きなタルコフフキー監督の『ストーカー』よろしく映画の中で出てくる不思議な場所「ゾーン」的場所を探したり…ピンク・フロイドのジャケットのデザインチームとして有名な「ヒプノシス」的シュールな場所を探した。

 

美術、音楽、文学、漫画、映画、演劇~を横超して語れる、唯一といっても良い友人だ。

 

ツマラナイ高校の授業をサボッて散歩し始めた私共も五十才を越えた。お互い良く此所まで生きて来れたと思う。互いに奇跡に近いと思っている。互いに若い頃、全くどうやってこの世を生きて良いものか皆目分からなかった。

 

私は相変わらず独り者で人生経験も軽い。何をやっても半人前のいい加減な人間だが、彼は今や、子供さんも居るりっぱな家庭を持つお父さんだ。

 

人の事は言えないが、かつて、「この人はちゃんと人生、生きれるだろうか?」と、この、私が心配する程(笑)、あぶなっかしい、また、独特の優れた感性を持っている人だった。が故に感慨もひとしおなのだ。「amberよ、よく生きて来たなぁ~、そして立派にやっている。すごいよ~」

 

私の周りには亡くなった友も多い。竹馬の友も若くして亡くなったし、唯一の大学時代の仲の良かった友も亡くなった。その友人を通じて二人の友人がいたがそれら二人も亡くなった。福岡時代も縁あった友人が二人も亡くなった。そして、この旧友amberと共通の友人も近年亡くなった。皆若くして亡くなった。

 

彼等の殆どは、この魑魅魍魎が跋扈するこの世を生きるには、あまりにピュア過ぎた感じがする。背中に透明な羽があって何時も地面から数センチ浮いていたような人たちだった。そして皆、滅茶苦茶に優しい人たちだった…。

 

私はなぜかいつも彼等の話を聞く役廻りで、彼等は彼等のビジョンを私になんとかして伝えようとしていた。私はヒマな時はフンフンと聞いていたのだが、やがて社会で働くようになると、貴方がそうであるように、私もその日の仕事をやるだけで精一杯。忙しさにかまけて彼等の話も時々しか聞けなくなった。時には煩わしいとさえ思ったことも正直ある。そういうある日、彼等は、すぅ〜と跡形もなく向こう側に行っていた。まるで初夏の宵の静かな風のように…。

 

もっとちゃんと話を聞いてあげれば良かったと思う。...っと言う思いと同時に、社会で働くということはそういうことを切って行かないとやっていけないのだよ…。との思いもある。  …彼等は私を許してくれるだろうか…。

amber
amber


 松浦半島の西端の小さな漁港で少し休んだ。

 

防波堤の突端で、お爺さんが釣りをしている。そこにもう一人の同じ位のお爺さんがやって来て、何やら楽しそうにしている。私たちも何となく近づいていくと、爺さん達は何か釣れた様子。

 

「何が釣れたんですかぁ~」見ると立派な、コウイカだった。「さっきはヤリイカだったよ~」「餌はアジさぁ~」「わぁ~立派で大きかですね~」実際立派なもので、液晶画面のように表面の模様が明滅していた。(これは逆ですね。液晶がイカのそれからヒントを得たのでしたね)「こりゃ~今夜は一杯!、楽しそうですね~」というと、「何杯でも楽しいよぉ~」爺さんたちは、本当に嬉しそうに笑っていた。

 

爺さんの一人は近郊から車で来られている感じ。もう一人の爺さんは地元ネイティブの方か。二人は、何ということもないのだか楽しそうに釣りに興じている。車の後ろが開いていて釣り具の間に、道路地図と「…戦争写真集」というのが見るということもなく見えてしまった。キットこの爺さんに戦争の話を尋ねたら、止まることなく出てくることだろうなぁ〜と思った。

爺さんが釣ったコウイカ。
爺さんが釣ったコウイカ。

最果ての鄙びた小さな漁港で平日の午後、釣りに興じている老人は実は大変な戦争体験者、旧日本軍の最後の生き証人なのかもしれない。違うかもしれない。いずれにせよ今日はお話を伺う予定ではない。

 

「どうも有り難うざいました!」

 

爺さんたちと別れた後、amber が、ぽつりと言った。「自分の老後の理想だね…」 私もすかさず、「何だか楽しそうだね~はやくあんな風になりたいね~」「年を経ると病気とかもあるわけだけど、それでも楽しそうだったね~」amberが言う。

 

私たちの老後は、年金制度も破綻してるかもしれないし、あんな風に楽しそうに過ごせないかもしれない。けれど、それでも夢見ていたいものだ。

 

岬の公園のモニュメント。
岬の公園のモニュメント。

最西端の岬は霧に煙るような風景だった。でも、海風に当たり、波の音を聞くのは心地良い。

 

観光地化していない其処には小さな公園があって、晴れるともの凄い視界に西海が広がる、向こうは東シナ海だ。

 

 

私はフト、ある歌を思い出した。それはその昔、NHK少年ドラマシリーズというのが放映されていて、一部で人気を博していた時代があったのだが、その中に、特に不思議な印象の少年ドラマ、『つぶやき岩の秘密』があった。その主題歌、『遠い海の記憶』だ。

 

海辺の洞窟に隠された、旧日本軍の埋蔵品を巡る、謎の老人と少年のミステリーに、少年のせつない心象風景が交差する物語だった。その気配はあますところなく主題歌『遠い海の記憶』に込められてて、当時の感性豊かな少年少女は、見逃すことなく反応した。

 

井上陽水の奥さん、石川セリが歌っていたこの曲は、日本の西果ての海にも良く似合う。良かったらお聴きあれ。

image BGM 『遠い海の記憶』/ 石川セリ(1974)

 この岬は、「日本本土最西端訪問証明書」というのが貰える。

帰り道沿いにある佐世保市小佐々行政センターに立ち寄るとすぐ作って貰える。オリジナルの80円岬切手付きだ。休祭日や夜間も対応してくれる。遠方から訪れる方はささやかな旅の記念になるのではと思う。無料デス。なかなか旅愁を誘う文章が添えてあリマス!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント: 5
  • #5

    Henry (月曜日, 23 7月 2012 09:32)

    Very good article i just submitted your website to stumble upon and also i bookmark your website in my pc for future visit

  • #4

    planetary-n (土曜日, 29 5月 2010 22:48)

    ラフィキさん、コメントありがとございます。ご返事遅れました。申し訳ありません。

    一緒に行きましたね~。あの日は好天で何よりでした。午後の西海の海がキラキラしていましたね。



    「人それぞれの人生があって、それぞれに課題を与えられて生きているのだと思うこの頃です。だから、その課題解決に一人ひとり頑張って挑戦しているのだと思う」

これはまさしく、その通りなのだと私も思いますね~。

    ですのでこれは、他者と人生を比べても意味がないということに他ならないですよね~。



    ラフィキさんの人生の結論はユニークですね~。受精時ですか~、そうかもしれませんね~。しかし、もしかしたらそれさえをも同意の上で生まれて来ているのかもしれません。私はそのように思えたりもします。

  • #3

    ラフィキ (水曜日, 26 5月 2010 22:26)

    懐かしい所だね。
    人それぞれの人生があって、それぞれに課題を与えられて生きているのだと思うこの頃です。だから、その課題解決に一人ひとり頑張って挑戦しているのだと思う。
    この頃宗教に凝って兄弟何で力が違うの、体力も能力も・・色々なことが・・。この頃、爺の結論だが、父母のその時の状態・・受精する。この状態が問題なのだと言うことを・・。親父は最高かも、母親は困って最低かも知れない。これが20億30億の人口、世界の人々を牛耳っているとしたら、神様が作ったこの世も恐ろしいものかも知れない。<?爺のぼやきです>

  • #2

    planetary-n (月曜日, 24 5月 2010 21:37)

    amber クン ありがとう。お疲れさま!

    岬はまた天気のいい日に行こう。このコラムのBGMは荒井由美の『瞳を閉じて』も考えたのだけど、ボクラのヴァージョンはやはりこれだろうと…(笑)。また、何処かを散歩出来る日があらんことを!
    感謝します。

  • #1

    amber (月曜日, 24 5月 2010 19:56)

    その節は大変お世話になりました。
    今日の午後、福岡に帰り着きました。
    旅の余韻にひたる間もなく、現実に引き戻されております(笑)

    本土最西端の地は、やはり天気のよい日に再訪したいね。
    小雨の降る寂寥とした漁港もよかったけれど。

    50といえば昔は死んでいても決しておかしくない年齢だった。
    (現に自分の祖父は父方母方いずれも40代で夭折している)
    医学等の発達で、人は生物本来の寿命を超えて生かされているようにも思う。
    それが悪いとは言わないが。
    あの二人の老人も、戦時中は生死を分けるような状況の中をくぐってきているのかもしれない。

    石川セリはいいよね、結婚したときは某先輩と、しきりに井上陽水の嫁さんにはもったいない、けしからんとしきりに怒っていた(笑)