本当はコチラが大変。

苗の補植をやり、やっと田植え終了。

100613~14(日)~(月)晴れ〜小雨 田植え機械で植えた苗だが、一応終了後、冷静に田圃を観察すると、今年は正直、植え残しがかなり多かった。

「こりゃ〜大変ばい…」と母が呟く。「大変」というのは、植え残しを補う

補植という作業、つまり、一つ一つ手植えする作業が、相当ある…、という意味で大変と言ったのだ。

 

実際作業は、13日(日)午後、美味しいランチの料理を作って頂いた母の親友のSさんも手伝って頂いて(海より深く感謝!) 、3人でやったが終了せず、翌14日もまるまる一日かかった。

補植の作業、Sさんもやって頂いたのに画像がなく残念!Sさんありがとうございます!
補植の作業、Sさんもやって頂いたのに画像がなく残念!Sさんありがとうございます!

昨年より、植え残しが多かった原因は幾つかありそう。一つは、水田の土の高低にイマイチばらつきがあったこと。全体が均一に同じ高さになってないの だ。どうしても、畦の方(山手ではない方)が低い。なので水かさが増し、苗が水没してしまう。また、苗が少し成長しすぎなのか、苗の根が張り過ぎていた感じで、機械が、いい塩梅に苗束を切って行ってないのでは…?

もう一つは、機械の扱い手が当然ながら皆素人だということ。私も人に任せている時の苗の植わり具合を、今一つチェックしてなかった。かような複数の原因からだと思う。

とにかく、ひたすら手植えをして行かなくてはならない。下の画像のように、植わってないところが、あちこち歯が抜け落ちたように多いのだ▼。

この補植という作業。やってみて判ったのだが、当たり前だが、補植の面積は多ければ多いほど大変で、時間とエネルギーを必要とする。この作業こそ助っ人が必要なのだ、と痛感した次第。

 

一時は、母から作業のやり方を非難され、険悪なムードにもなった。

論点は、私が田植え機械で田植えの殆どをやってしまえば、こういう後の大変な作業は少なくる。というものだ。う〜ン、確かにそうだ。やリ残し作業は少ないに越した事はない。…それはそうなのだが、しかし、下手でも田植え機械、人に経験する機会があってもいいのでは? とも思う。補植まで、私が友人たちに強く作業を要請しなかったのも原因のひとつだ。去年の例から、そこまでの必要性はないと思っていたのだ。

 

このことは、一つの田圃でお米を作るという過程についての、考え方の相違を明るみさせた。それはそれで良かったと思う。そしてこれは今後検討される事柄だと思った。

 

保植を終えた田圃。梅雨に入った。
保植を終えた田圃。梅雨に入った。

 肝心の補植は、最初は確かに大変に思えたが、何だかんだ、母も私も作業はウマイので、何時の間にか残っていた苗も全部植えしまった。植えてしまえばもう〜こっちもの。母も機嫌が直った。そういうわけで事実上、月曜日に田植え作業は終了。ほっとした次第である。

 

本日も御訪問頂きありがとうございます。良い事がありますように…。

 

 

 

コメント: 8
  • #8

    planetary-n (水曜日, 07 7月 2010 01:28)

    ラフィキさん、遅れましたがコメントありがとうございます。
    わぁ〜私は世間の馬鹿でした〜!「猫の手も借りたい〜」思ってました〜。そういう人も多いのでは?えっ、オレだけ?(笑) しゃくしが「赤子」とは、これも知りませんでした。何故、しゃくしが「赤子」なのかも馬鹿なので判りません「杓子」のこと? 教えて下さ〜い 、ってもう、ここ見ないですよね〜。メールで訪ねるしかありませんね。全く為になるコメントを、まことにありがとうございます!

  • #7

    ラフィキ (月曜日, 05 7月 2010 14:54)

    失敗は来年に生かそう・・。
    まあ、捕植終わって田植え終了って言うのかもね。
    子どもでも手が欲しい田植え、だから「寝子の手も借りたい」と言うんだよね。世間の馬鹿は「猫」と書く。小説でもそう言うのが多い。どうして猫が田植えできるんだろう。
    因みにしゃくしは「赤子」と書く。爺は高校生の時に教わったよ。昔は素晴らしい先生が多かったね。今でも感心する言葉である。

  • #6

    planetary-n (木曜日, 17 6月 2010 08:28)

    おおぅ〜tautsunariさん、お久しぶりです! コメントありがとうございます! 「美しい日本の趣」は、その地域の無名の農家の人々の、思いの賜物です。当HPが、日本の土地や農業や地域やお米や野菜等あるいはそれらを作っている人々について、何か、目を向け、感じる切っ掛けになれればトテモ幸いです。ありがとうございます。また会いましょう!

  • #5

    tatsunari (水曜日, 16 6月 2010 23:53)

    こんばんは、長崎のOです。
    地元と長崎を電車で通う途中、水田を見かけます。
    それが非常に美しいです。やっぱり日本の趣は良いですね。

  • #4

    planetary-n (火曜日, 15 6月 2010 21:22)

    tsuyoshiさん、こんばんは!コメント、ありがとうございます。
    今年はサニさんにも来て頂き、その落ち着いた好青年振りは、私の悪友達には少なからず衝撃的でさえあったのでは?(笑)と思ってます。悪友たちは偶然にもサニさんの住んでおられる町の近所だったりして、良かったです。

    補植の件はtsuyoshiさんがおっしゃる通り大変勉強になりました。私は自分では学習能力は高いと思ってるので(笑)、来年はこの件を考慮した、より良いセッティングをしたいと思ってます。いつもありがとうございます。感謝します。

  • #3

    planetary-n (火曜日, 15 6月 2010 21:02)

    amber クン、コメントありがとうございます。

    何かをやっていれば当然、新しい課題に気付くね。今回のことはお米プロジェクトの関係者で、色々意見を交換し、より良いと思う方向に行けたらと思っています。

    あ〜でもないこ〜でもないと意見を出し合い、本音で関わり合って、やって行く過程こそが実はかけがえのないものだと思っていたりします。

    私達は、お米作りに関して素人であります。しかし、では、これまでの慣習型農業とも言うべきお米作りを踏襲すればいいの?、それが目標?
    お米作りのプロになることが目標? 素人がお米作っていけないの?
    大切なのは何? 皆で共通認識を確認し合えたらと思います。

  • #2

    tsuyoshi (火曜日, 15 6月 2010 20:36)

    nさん、田植え終了お疲れ様でした。今年はサニ君にも体験させていただきありがとうございました。車で郊外に出てたんぼがあるたびに、自然とチェックしてしまいました。さて、田植え後の補植の件あらゆる意味で勉強になったのではないでしょうか?私も補植のことは初めて知りました。勉強になりました。母上のご機嫌も直られたようで安心しました。
    皆さんの働きと、母上の働きの相乗効果で今年も美味しいお米ができるのを祈っております。 tsuyoshi

  • #1

    amber (火曜日, 15 6月 2010 19:27)

    うーむ、自分も何だか去年より「均質さ」に欠けるとは思っていたのだが、やはり。

    来年は手順を再考する必要がありそうだね。
    例えば、予め君が機械植えをした翌日に、補植の方を集まった人手でやるとか。(その方が合理的だし。あるいは機械植え組と補植組に分けてもよいかもしれない)
    なにも機械で植えることだけが田植えではないのだから。