父の日に…。

父へ

 

無口。

あまり笑わない。

何時もムズカシイ顔をして、煙草を燻らせ新聞や本を読んでいた。

過去は語らない。

若い頃のことは一切謎のまま、向こう側に逝ってしまった。

父はそういう人だった。

 

お父さん、ショウネンの私は、貴方ともっと遊びたかった。

釣りをしたり、キャッチボールをしたり、虫を捕りに行ったり…。

ホントウに、それらはありませんでしたね(笑)。

 

シカシ、お父さんも、お父さんと遊んだことナドなかったのデシタネ。

キット、息子と、どう遊んだらいいのか、判らなかったのデショウ…。

 

次の人生で、また出逢ったら、お父さん、今度は遊びましょう…。

 

 

…………………………………………………………………………………

 

私の記憶に、いつも後姿で現れる人がいる。

あの頃、貴方が口にしなかった言葉に

何時か私は、辿り着くのだろうか・・・?

 

 

私の知らない父と

 

父の知らない私が

 

坂の途中ですれ違う。  

                                                  ー 大分二階堂CM/2002年『父編』

 

本日も御訪問頂き、ありがとうございます。良い事がありますように…。

 

 

 

コメント: 10
  • #10

    planetary-n (火曜日, 06 7月 2010 02:19)

    ラフィキさん、燻し銀のような深いコメントを、誠にありがとうございます! ラフィキさんとラフィキさんの父上様のお話、そしてまた、自らも父であり爺様でもあるラフィキさんの物語。語って頂き深く深く感謝します!ありがとうごございました! 

    「ラフィキとは「友達」の事である」。スワヒリ語なのですよね。凄く良い言葉だと思います。この名前をお使いになられるにあたっては、それなりの意味があられるかと思います。ラフィキさんのラフィキ(友達)論、何時か是非、聞かせて来ださい!

  • #9

    ラフィキ (月曜日, 05 7月 2010 14:37)

    坂の途中ですれ違っても・・何もないはずは無かろうと思う。
    爺の父も彼岸に行ってしまった。外地にいたから、連絡があったのは葬儀も終わって・・1ヶ月も過ぎていた。
    だから死んだと思わなかった。ひょっこり顔を出しそうな気がしていた。日本に帰ってきても、同じであった。
    羽田で手を振って別れたのが終わりだった。
    それから30余年は過ぎた。息子が結婚して、爺も孫を抱くに身になった。なのに一回も夢にも出てこない。それくらい心配ない息子だったのであろうか。わからない。
    ついこの間、80歳になる姉が「死ぬ少し前に、トモに連絡しなくては・・」と言っていた、と話してくれた。そこで親父はトモを思っていてくれたのだ・・と言うことを初めて知った。親子って、そんなものでは無いだろうか。仕事はさせられても、キャッチボールなどしたこともない。まあ、大学時代、飲み屋で飲んだことは1-2度あるが・・。
    ラフィキとは「友達」の事である。

  • #8

    planetary-n (月曜日, 21 6月 2010 20:29)

    amber クン、何度もありがとう。
    ブログ行きます。今日のブログ書いた後になりますが、行きますよ〜。ありがとうございます。

  • #7

    amber (月曜日, 21 6月 2010 11:38)

    うんうん、それは正しい分析だと思う。
    二階堂酒造の経営陣も、二階堂のターゲットユーザーも、みんな同じ世代に属していると思うよ。

    以前、水木しげる巨匠宅を訪れた夢を見たことがあるけど、妙に現実感のある夢でね、あれは俺の生霊が行っていたに違いないと思ってる(笑)

    蛇足だが、志免炭坑竪坑櫓跡の写真を一葉、ブログに載せたので、よかったら見に来て呉れ給へ。

  • #6

    planetary-n (月曜日, 21 6月 2010 11:19)

    amber クン、三たびのコメント、まことにありがとうございます。
    そうですね、「思わずジェラシーを感じてしまう」の、気持ちが良く分かります。私にもあります。この感情は対象とあまりにもかけ離れていると、ないですね。それがあるのはキット私どもが、曲がりなりにも、美術やデザイン系出身だからだ思います。

    自分たちがあのCMを作る側にいた可能性が全くないでもなかったからですね。あのCMはきっと電通だか博報堂だか日本を代表する大手広告代理店が制作してると思うのですが、制作スタッフには、'70~'80年代に、あの松岡正剛編集長、今となっては伝説の雑誌『オブジェマガジン遊』や、西武美術館、パルコ 、WABE、ペヨトル工房、等の文化等を享受して育ったクリエイター等が関与しているのは、ほぼマチガイないと察します。

    理由は映像のそここに見受けられる、宮澤賢治や稲垣足穂的な理科室めいたオブジェ指向。鉱物主義、レトロ、廃墟等、からです。いわば、「遊星的郷愁」とでも言うべきそれらの在所は、そのあたりの文化を知ってないと表現として出て来ないと思うからです。

    もの凄く映像にしにくい、永遠癖みたいなイメージと実際の広告がマッチングした希有な例だと思います。イメージと実経済が上手く出逢った珍しい例ですね、制作者もこういうCMには、まず、そうそう出逢わないのではと思います。制作者が楽しんで思いを込めて作ってるのが伝わる気がします。ちょっと褒め過ぎでしょうか(笑)。

    あと、この際ですので書きますが、缶コーヒーBOSSの孤独な宇宙人ジョーンズ氏の哀感漂うシリーズも好きです(笑)。そして、私共の世代〜で「ゲゲゲ〜」の水木さんを嫌いな人は、あまりいないと思いますね〜。はい。読んで頂きありがとうございました。

  • #5

    amber (月曜日, 21 6月 2010 09:11)

    二階堂のCMはいいよね、ふだんテレビなど滅多に見ない(数少ない例外の一つとして「ゲゲゲの女房」があるけど)自分も、あのCMがかかると、ハッと見入ってしまうね。

    どの作品も、ロケーションが憎い、憎すぎる。
    写真が趣味の自分は思わずジェラシーを感じてしまう(笑)

    幼い息子を連れて、志免炭坑竪坑櫓跡のロケハンに行ったことがあるよ。
    もう息子は覚えていないと言うけれど。

  • #4

    planetary-n (日曜日, 20 6月 2010 23:19)

    amberクン、再びコメントありがとうございます。
    
ベストセラー『いいことから始めよう』/エイブラハム・J・ツワルスキー著、所持してます。スヌーピーとその仲間たちから学べることは多いですね。



    さて、今日だけしか意味がないブログを作成しました。
かねがねこの大分麦焼酎二階堂のCM、そのCMを越えた物語性と映像、音楽、コピーライティング、ナレーション、全てに於いて完成度の高い作品に惹き付けられていました。いつか、何処かでご紹介出来たらと思ってました。

    

中でもこの2002年『父編』は個人的には琴線に触れっぱなしで、映像の最後あたり少年がポールを落とす瞬間に、不覚にもコミ上げテクルモノがアリマス(笑)。紹介するなら今日しかない、と思いました。

    

撮影場所は福岡北九州八幡と福岡志免町、志免炭坑竪坑櫓跡。鈴木翁二的謎のコートの男性、ピンクフロイド『アニマルズ』のジャケットのような炭坑町独特のモニュメント…。



    かつて、私の故郷も炭坑町だったし父は炭坑の技師だったので、なおさら感情移入しやすかったのでしょう。たった30秒で、人様をその小宇宙にワープさせる技術は、見事としか言いようがアリマセン。

    これを観て、やはり映像作品が総合芸術だなと思いました。

また、自分で映像を作って見たいものだと、私は初めて思いました。そのくらい刺激的なCM作品だと思います。ネットで調べるとこのCMのファンクラブがあり、迷わず入っています。

    

お酒のCMはその他「いいちこ」のシリーズも中々いいですね。余談ですが、あの日本的な風景は全て外国で撮影されているそうです。有名なアートディレクターである、河北秀也氏が手がけていますね。ビリーバンバンのテーマソングも中々デス。



    かといって、私はお酒はあまり強くないのですが…、以上、ネットをやり始めてTVは殆ど観ない私が、気になるCM映像紹介しました。観て頂き感謝します。

  • #3

    amber (日曜日, 20 6月 2010 16:32)

    スヌーピーは意外と哲学的な犬でね、名言をいっぱい残してるよ。
    でもスヌーピーはしゃべらないので、実質的に作者のシュルツの言葉だろうね。

  • #2

    planetary-n (日曜日, 20 6月 2010 13:01)

    amber クン、ありがとうございます。
    
いつも小屋の上で寝ているスヌーピーからだけは言われたくはなかったが、
たぶんそうなのだろうね。ありがとうライナス。ってじゃあ~、オレはチャーリー・ブラウンっだったのか!ま、いいか!

  • #1

    amber (日曜日, 20 6月 2010 11:04)

    nの父君には数回お会いした記憶がある。
    あまり語らない方だったのでうっすらとではあるが。
    ちょうど君と親交が途絶えていた頃に逝去され、後で知らされ驚いた。

    自分の父も(子供に対しては)非常に無口で、子供の頃の思い出は、夏の海で、父が背中に自分を乗せて沖まで泳いだときのこと。
    その頃、自分はまだ泳げず、足下には深い海が広がっていて、父の背中はなんて大きくて頼もしいのだと思った。

    その父も、歳を取り、最近は話をよくするようになった。
    多分、俺の方がオトナになったからだろう。
    それでも昔のことはあまり口にしない。
    楽しいことよりも辛いことが多かったからだろうと察している。

    「安心って言うのは車の後部座席で眠ることさ。前の席には両親がいて、心配事はなにもない。
    でもね、ある時、その安心は消え去ってしまうんだ。君が前の席にいかなきゃならなくなるんだよ。
    そしてもういない両親の代わりに、君が誰かを安心させる側になるんだ。」(スヌーピーの言葉)