遠き友へ 〜 冬の散歩道 2010

旧友と自分の町を歩く

(吉井町・立石・南小学校・御橋炭坑)

101217(金)曇り 少し早めに年賀状を書き、自分のいろんな時代の友人に想いを馳せていたら、小学2年生からの幼なじみで、東京在住のMクンがフラっと帰省するので…、とメールが来て、久し振りに会うことに。

 

つい先日は、長崎市に住むこれまた小学2年からの親友Kクンが、フラっと用事でこの町に戻って来て、音楽仲間だったので2人で歌をハモリ歌いまくる夜を過ごしたばかりだった。( T、見てるかナ〜。ありがとう、また歌おう!)

 

このブログでも個展を紹介した、イラストレーターでもあり画家でもあるMクンとは、師走の冬空の下、自分たちが育った町を散歩することにした。

 

自分の町を、かつての路上観察学会やブラタモリみたいに、ゆっくりと歩き、再確認したい気持ちはずっとあった。が、一人だと狭い町で変に思われそうでなかなかやりにくい。2人だと結構平気でやれる。冬ざれた天候だったがそれも良し、いい機会と思い決行する。

 

まず、この町を通る唯一の鉄道、MR松浦鉄道の、無人の「Y駅」で待ち合わせし、住んでいながら中々行かない地域、「西立石免」(にしたていしめん) と呼ばれていたエリアの一画を散策。

 

ここには昔、狭いエリアに個性的な友人が複数いた。中学校卒業以来訪ねていない所だ。かつての友人宅は無くなっていたり、家はあるが引っ越した気配が漂っていた。近所にあった駄菓子屋も建物はあるが人影はない。この町を出てる人も多いのだ。

 

「ここにはMクンとHクン、それにTさん、Fさんがいたよね…」

2人で記憶を辿る。月日は流れたが、かつての面影はしっかりあった。

 

その後は2人が卒業した小中学校を散歩。平日で放課後なのか小学校は音楽室からかオルガンの音が聞こえていた。校庭の隅に忍び込む私共は互いにデジカメを持った実にアヤシイ2人連れだが、近くにいた先生らしき人に明るく挨拶をし、「いやぁ〜変わったよね〜」等と自分たちが卒業生である事をことさらアピールし、校門付近を撮影させて頂く。

 

自分たちが学んだ頃は100年以上続いた風格ある木造校舎だったが、改築され今の鉄筋の校舎になった。しかし昔の御面影を良い意味でデザインに取り入れ、親しみやすい校舎になっている。

 

その後、Mクンがかつて住んでいた電気会社の社宅跡を訪ねる。そこは変電所は残ってるのだが、社宅跡は平地になっていた…。

 

ここには、風の又三郎のようにある日転校して来て、私に天文の知識を沢山伝授し、ある年の夏休みに再び風のように転校して行ったIクンが居た所でもあった。

 

親友だったIクンの引っ越しの日は、私はもうひとりの友人Uクンとお別れの挨拶をしようと自転車で駆けつけたのだが、時すでに遅し、Iクンは引っ越した後だった。線路沿いの道でUクンと2人、自転車に乗ったまま虚脱感を感じつつ、引っ越しの車が去った方向をずうと見ていた…。そういうちょっとセツナイな想い出がある。

 

暑い夏休みの終わりだった。その茫然と立ち竦む自分の後頭部あたりからカメラが後ろに引いていき、線路と入道雲がロングショットで見えて来る気がする…。まるで「スタンド・バイ・ミー」だったな、と今は思う。

 

その後、Iクンは東京の大手企業にいるらしいが、詳しい消息は判らない。

 

最後は、昭和の時代に炭坑で栄えたこの町の、現存する具体的な形跡を探しに向かう。もっと簡単に見つかると思ったが、月日の流れは容赦がなく、炭坑の坑口があるあたりも背の高い雑草に覆われて近づけない。

 

わずかに、かつての炭住街の気配を残す地域に行き、その路地を撮り収める。そして、かつての炭坑の中心部で、今はコンクリート会社の敷地になってるところを、小高い丘の上から俯瞰し、小さな地元再確認の旅を終わる。

 

Mクンお疲れさま! また、旅の話、アートの話を聞かせて下さい。

そしてまた元気で会おう!

 

スライドショーを作成しまシタ。この町から離れて行った全ての幼な友達や友に、このBGMを捧げマス。これをクリックした後、画面を戻し、スライドショーの矢印をスタートさせて見て頂くと嬉しいデス。うまく行けば、そこそこ雰囲気が出るかと思いマス。

 

そしてもうひとつ、以下の楽曲を、この町を離れている貴方へ…。

本日もご訪問ありがとうございました。良い年末を御過ごし下さい…。(暫くPCから離れます。ブログも最年末までありません。よろしくデス。)

(500MB/481MB)

 

 

 

 

コメント: 5
  • #5

    planetary-n (水曜日, 29 12月 2010 23:56)

    sasaクン今晩は、自宅から書いてます。映画『狼少女』は面白そうですね、賞を貰ってるようですね。時代も1970年代ということで、興味深いです。

    豊富な旅経験をお持ちのsasaクン、白夜の北極圏から、ヨーロッパ、そしてカオスの亜細亜まで行かれたそうですが、また、私の知らない旅先の話を聞かせて下さいね。地元再発見シリーズは、また入射角を変えて決行して見たいと思います。どうぞよろしく!

  • #4

    planetary-n (火曜日, 28 12月 2010 02:52)

    SASAくん、先日は地元再発見、冬の散歩道2010にお付き合い頂きありがとうございました! 私が旅直前だったもので、じっくりお構いで出来ず、申し訳ありませんでした。京都のネットカフェから書いてます。もう眠くなりました。また帰ってから書きますね。

  • #3

    planetary-n (火曜日, 28 12月 2010 02:47)

    Amberクン、コメントありがとう!
    その8ミリと、CDをよろしくね!

    って、私は、生まれて初めてのネットカフェからログインし、慣れないWINDOUSで、返事書いてます。思ったより、静かで、暖かく、コンパクトで落ち着く空間であります。環境順応能力の高い私は(笑)結構いいな~と思ってます。

    一体何処から書いているの? はい、ここは、京都、河原町、新京極という所デス。関東からの旅の途中です。
    朝一で佐世保を目指します。

  • #2

    sasa (月曜日, 27 12月 2010 14:02)

    先日はお疲れさまでした。ナイスなプラン楽しゅうございました。どうもありがとう!
    2年ぶりの風の町は目や鼻の奥から海馬を刺し、フラッシュバックを繰り返しました。家庭の都合で引っ越して行く炭坑の子、変電所の子や鉄道の子。映画「狼少女」のラストシーンを思い出します。あいにくの曇り空でしたが、強い日射しだけが記憶を左右するんじゃない事がわかりました。

  • #1

    amber (月曜日, 20 12月 2010 22:51)

    炭坑町の小学校には「謎の」転校生がよくいたよね。夏休み明けには既に転校してしまっていたり。自分にも、顔は覚えていても名前が思い出せない一学期限りの同級生がいたりする。
    ストレンジNが卒業した木造校舎、実は取り壊される前年の夏に偶然訪れ、8ミリビデオに記録してるんだよ。そのとき応対してくれた教師は、とてもしのびないのだが、安全性を考えたら立て替えざるをえないのだと説明してくれた。(自分は、それは建前で、保守のコストがかかりすぎてることが本当の理由だと薄々感じていたが)
    それから、これは話したかもしれないが、日本中の木造校舎を撮影したCDを昔買ったんだが、この学校も含まれていた。