TV画面からの無言のエール。

吉椿雅道さんのこと。

110627(月)雨 それは母が入院して間もない頃、たぶん4月下旬頃の事だったと思う。何時のようにお午過ぎに病院に行き、病室に顔を出す。母の容態を伺い頼まれる用事や買い物をしに、何時ものように病棟を抜けエレベーターで一階のロビーへ。

 

午後の総合病院のロビーは、午前中程の混雑はないにせよ、人がそこそこ散在している。液晶TVは相変わらず震災の風景を映し出している様子だ。何時もなら足早に通り抜けて行く場所なのだが、何故、そうしたの判らないが、その日に限ってフト、震災の番組を見たくなった。ゆっくりとロビー前方にある液晶TVの、それもかなり前までやって来て被災地の様子を見ていた。

 

後なって何故そうしたのか考えるのだが、特に理由はなかった。しいて挙げれば、いつも通り過ぎてばかりで、このところ、ちゃんとした現在の被災地の様子を知らない。それはいくら何でもマズイのではないか、ここらでちゃんとチェックしておこう…と言う位の気持ちだ。

 

TVはNHKで、震災があった4時間後、いち早く現地に駆けつけたというNGO団体の、最初の行動からその後の現地での様子を紹介していた。それは、「被災地NGO協働センター」という神戸の団体で、阪神大震災のボランティアから始まり、神戸での経験を活かして国内外を問わず自然災害に即座に反応し、災害救援活動を行っている災害のエキスパート集団だった。

 

代表者の年配の方(村井雅信氏)の下で、具体的な指示を一手に受けている青年がいる。代表者の全幅の信頼を受けて現地に最初に入る人らしい。その人の顔が出て名前がテロップで流れて驚いた。何気にフラフラとTVの前に来て約一分も経たない頃だ。

 

「うわぁ~~、吉椿クンだぁ~!!!  わぁ~何でここに居るんだ~?」

 

思わず、声を出していたかもしれない。TVに映った彼、吉椿雅道さんは、90年代、福岡で樹林気功の会というの主宰していた人だ。福岡で気功や東洋医学とかに少しでも興味ある人だったら知っている人もいることだろうと思う。

 

自分は当時、福岡気功の会という非営利団体の(現、NPO福岡気功の会、山部嘉彦代表)事務局で会報誌を作成したりイベントを立ち上げたりの仕事をしていた。その関係で、彼とは、会としても友好関係があった。自分たちが主催したイベントに彼が時折参加したり、また、彼が主宰する樹林気功のワークショップに個人的に顔を出したりしたものだ。

樹林気功というのは、今田求仁生という方が提唱した気功法で、全ての命の繋がりが自然に生かされているという原点に立ち返り、心身穏やかに生きる事を目指した気功法。書くとそうなると思うが、要は自然の中、好きな樹木の下で、ぼーとして、体をゆるめ、樹木とのエネルギーの交流を楽しみましょうというものだ。

 

80年代後半〜90年代初頭の気功ブーム、ニューエイジムーブメントは、改めて何処かで書くとして、ここでは詳しく触れないが、当時は、手で触らず相手を飛ばす等、派手なパフォーマンス的気功が目立つ中、自分の体を整えようという健康法としての気功も少数だが存在した。自分がいた会などはその最たるものだった。その会から見ても、樹林気功は、より簡単で誰でも出来そうで(事実そうだ)、イージーな自分は気に入っていたのだ(笑)。

 

TVの中の現在の彼は、以前よりひと回り逞しくなった姿で、後に続くボランティアの代表者に、現地の状況と何が現地に必要か指示を出していた。

 

自分はそのTV映像を見ていて、最初は驚いたが、かつての彼を思い出し、「ああ〜、彼だったら、うまくやるだろう。代表の全幅の信頼を得るに相応しい人だ。さすが、吉椿クン、すごいなぁ〜カッコイイ!」素直にそう思った。

 

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「 … ◯◯さん(自分の名前)、どうです、一緒にボランティアやりませんか? ハマリますよ〜」

 

あれは、スイスから来た整体の人のワークショプを主催した時だったか、参加していた吉椿クンは、そう自分に言った。1995年、阪神大震災があった年だったと思う。2人一緒に、組になって体をほぐすワークを吉椿クンとやった。「吉椿雅道!まるで時代劇の剣士みたいな名前だね〜本名?」「本名です」と彼は笑う。実際、そういう凛とした人だった。

 

幼少の頃から武道を習っているという吉椿クンはさすがに体が柔らかく、あっと言う間に新しい整体を修得して行く。自分などは話にならない。

 

気功の会とかに、一応、身を置きながら矛盾してるようだが、自分はどうも、武道とかそういう方面の人はイマイチ苦手だった。武道派の、あの、自分だけ強くなりたいという動機が自分には理解出来なかった。「そんなに体鍛えてどうしたいワケ? それが何なのだ? そんなに力持て余してるなら、アフガニスタンでも行けばいい…。」内心小馬鹿にしてたところがあった。

 

吉椿クンも、その類いかと思ったが、単なる武道派に終わらない気配がある人だった。それは、当時、未だ若いのに、樹林気功の会を自ら主宰しているという事実が物語っていた。既に高い人徳と静かな自信が漂う人だったのだ。いち早く神戸のボランティアに関わり、自分などにはない何かを既に掴んでる様子だ。

 

かたや、当時の自分はと言えば、フリーエネルギーだの、チャネリングだの、UFOだの、ぺトログラフだの、プレアデスだの、もう〜、「不思議大好き」&「と学会」を爆走中! そちらの方が面白すぎる時期だったので、曖昧な返事をして茶を濁してしていた。(やれやれ)

しかし、当時、屋久島におられた樹林気功の創始者、今田求仁生の講演を福岡気功の会でも主催し、会報誌に自分がそのレポートを書いたりした経緯もあって、吉椿クンとは年賀状もやりとりしていた。

 

その後、自分は、新しい宇宙論に夢中になり、いつしか吉椿クンとも疎遠になる。彼もいつの間にか福岡では見かけなくなっていた。

 

そうして時は流れ2011年、彼は颯爽とTV画面に現れた。東日本大震災の現場に最初に駆けつけたNGOの代表として。その後ネットで調べたら、あるわあるわ、吉椿雅道。そのブッチギリの輝かしい活動軌跡! 04年中越地震「足湯ボランティア」等の活動、05年パキスタン地震、06年ジャワ島地震、08年中国四川大地震、全てにCODEスタッフとして現場にいち早く派遣。被災者の支援に奮闘。クローズアップ現代(NHK総合)11/03/28『報道ステーション』11/03/16他等のTV出演。…自分が知らないだけだった。その世界を股にかける活動!フットワークの軽さ!

 

「◯◯さん(自分の名前)、お久し振りです。その後どう御過ごしですか? 現在の私はこんな感じです。◯◯さんは今の状況で何をされてますか?、どうです、一緒にやりませんか? ハマリますよ…」

 

吉椿さんは自分の事はもう、覚えてないかもしれないが、あの、静かな自身に満ちた顔で、TV画面からそう言われてる気がした。吉椿さん、ごめんなさい。自分は行けないのだよ、ここで、やるべきことがある見たいだ。しかし、そうやって被災地で活動する人を支援することはここでも出来る。

 

人それぞれの役割というものを感じる日だった。その日自分は、TVの前に呼ばれ、吉椿雅道さんから無言のエールを送られた気がした。ありがとう、吉椿さん!自分もここで頑張って見るよ。頑張るの好きじゃないのだけれど。

 

本日もご訪問ありがとうございます。それでも良い事がありますように!

中国・四川大地震の際、被災状況を調べるCODEスタッフ吉椿さん(右)=2008年5月、四川省綿竹市で(読売新聞HP読売国際協力賞より転載)
中国・四川大地震の際、被災状況を調べるCODEスタッフ吉椿さん(右)=2008年5月、四川省綿竹市で(読売新聞HP読売国際協力賞より転載)

 

 

 

 

 

コメント: 2
  • #2

    planetary-n (火曜日, 28 6月 2011 21:29)

    tsuyoshiさん、書き込みありがとうございます。感謝します!

    実際その時、TVに彼が出て来た時は、凄く驚きましたよ。いつもロビーのTVの前、さ〜と横目で見て通りすぎるのですが、ほんと、その日はフラフラと引きつけられるよに行きましたね。50インチ位かな? 広いロビーですからね。長椅子がいくつもあって、座って見れるようになってる。その長椅子より前に来て、至近距離で見ていたのですよ。全く参りました。

    彼の樹林気功の師である、今田求仁生と言う方も、モノスゴイ人です。以下を参照して見て下さい。世の中にはスゴイ人がいるものだな〜と、改めて思います。

    http://taichi-psycho.cocolog-nifty.com/adler/2009/05/post-a83e.html#search_word=樹林気功


    tsuyoshiさんもそうだと思いますが、自分は、福岡、その当時、後輩が一人いるだけで、あと、何にも、これと言って、伝手もない所から生活を始めました。20数年前です。そういう風に、0から生活を人生始めるのは、とても良いと思います。

    それまで育った田舎の地域共同体は、既に親が先祖が築いた人脈があるというのが前提の世界ですね。既に世間に関係性が出来ている中を生きる感じですね。自分が築いた人脈ではないですね。そこを離れ、0から始めると、人の大切さ、有り難さ、それが良く判る気がします。

    自分はこれまで、見ず知らずの方、家族でも親戚でもない人たちに、何故か、大変!何度も!何度も!助けられてこれまで生きて来ました。ご恩をお返ししようにも、既に他界されていたりします。そういうものあって、それらはまた、別の人にお返ししなくては思っています。

    今や、65億も、この地球上に人が居るわけですが、自分は特に積極的に人との出逢いを求めるタイプではないので、人生で出逢う人は本当に数少ないと思います。ですので、そういう中で出逢った人は、やはり何か、相当ご縁があったのだろうと思います。なので、自分が出来る範囲ですが大事にしたい…。という気持ちが、何時しか芽生えたのだと思います。たとえ、やなヤツでもですね(笑)。

    あと、どなたでも家系を10代も遡れば、その当時の日本の人口より多い親戚数になるようです。ということは日本人殆どが親戚になるということですね。ですので、身内とか、家族だけ親戚だけ、とか、そういう意識があまり自分にはないようですね。また、あまり意味がないのでは?とも思います。もう、今や、地球人的意識になりたいです。

    自分がこれまで知り合って来た人たちは、社会的な肩書きが一切関係ない友好関係ですね。でも互いに敬意を持つみたいな…。世の中には、目に見えない情報を読みとれる人も少なくないので、そういうのが意味ないのですね。

    ご存知かも知れませんが、ブッダの言葉に、『対面同座五百生』というのがあるのですね。これは、対面し同席する人は、最低でも500回、(別の)人生を一緒に過ごしているという意味だそうです。そう考えると、例えば、一緒に食事する人等は、相当縁がないとやらないし、出来ないということですね。

    精神世界では、一生の出逢いは必然としてセットされているようで、出逢った後、それをどうするかは、その人にまかされてる。というような文を読んだ事があります。人生で出逢える人は限られてますので、お互い大事したいですね。

  • #1

    tsuyoshi (火曜日, 28 6月 2011 00:04)

    nさん、こんばんわ。何か不思議な彼の力を感じるようなブログでした。大した人ですね。名前もカッコ良いな~。nさんは色んな人と出逢って、たぶんその出逢いをとても大切にしてきたんだと思う。nさんのブログから感じるそんなことが、嬉しく羨ましく感じます。
    いま、自分のやるべきことをあせらずにやりましょう。
    自分自身も・・・。        tsuyoshi