友、遠方より演奏に来る。

「かちがらす」31周年コンサート

111023日(日)曇り 

 

「ごぶさたしています。

今月23日、西地区公民館で、

かちがらすコンサートを行ないます。

よければおいで下さい。」

 

阿蘇に住んでいる友人から、かような葉書が飛来したのは、少し前のことだった。こちらに戻って来て3年余り、その間にも同様のお誘いを受けていた。しかしどれも都合で行けずじまいだった。今回は介護の間隙を縫って行ってみた。

「カチガラス」は、佐賀の盲学校で結成され、地元佐世保を中心に30年以上活動を続けているフォークグループのようだ。ようだとは、自分は20年以上地元不在だったので、その活動を殆ど知らない。殆んどとは、全く知らない訳ではないので。2年前、地元で行われた中川五郎コンサートを、誘われて成り行きで見たのだが、その前座で彼等は出演していた。何にせよ活動30年はスゴイ! 因みにその時は、くだんの友人は来ていなかった。

 

阿蘇、九州のヘソの町に住む友人Kさんとは、福岡時代、互いに共通の友人がいて、かつ、福岡市内で開催されていた、「宇宙論」を共に学ぶ仲間だった。しかしその当時は、彼が佐世保の「カチガラス」の古くからの健常者メンバーで、他のメンバーから絶大な信頼を勝ち得てること(今回のコンサートフライヤー記事より)など、露にも知らない。

 

当時、自分は福岡に住んでいたし、佐世保が話題に上がることもなかったせいかもしれない。専ら互いに、その希有な宇宙論の話をしていたと思う。

 

阿蘇に住んで、福岡の宇宙論のクラスに出席し、佐世保のフォークグループで演奏するKさん、フットワークが軽い人は世の中少なくないが、このKさんもそういう人だ。

 

さて、ところで、Kさんは一体何の楽器を演奏するのか? それも良く知らないまま会場へ。友が葉書を寄越し、遠方から遥々近くに来る。行けない用事もない。行かない訳にはいかない。

 

佐世保の街はこの日、「よさこい」というお祭りが、市内のあちこちで行われていた。その賑わいを避けて、会場である佐世保港を見下ろす斜面地の公民館へ。母がお世話になってる病院近くなので、初めて行くのだがそう迷わずに行けた。

 

小さな会場だが観客は結構一杯。ご年配の方から子どもたちまで幅広い客層だ。リーダー格のメンバー急死を乗り越えての31周年記念のコンサートとのこと。3.11以前から、平和、人権、脱原発等の環境問題をテーマに精力的に活動している等、話題性があり、話の焦点を何処に持っていけば良いやら、だ。しかし、ここは敢えて友人Kさんのみに着目する。

 

Kさんは福祉系の大学出身なので、その流れで、「かちがらす」に出会ったと以前話してくれた。大変に温厚、かつ実に真面目な方で、何というか、阿蘇の深い森の番人のような、律儀さと謙虚さを併せ持っておられる。側にいると心が洗われるような人なのだ。

 

そういうKさんは、会場のグランドピアノの前にいた。曲によっては、キーボードの前に。そう、Kさんはカチガラスのピアノ、キーボードを担当してる人だったのだ。宇宙論で会っていたKさんからは、全く想像もつかない鮮やかな変身の姿だ! 他のメンバーの圧倒的信頼を勝ち得て、全ての楽曲を、控えめだがしっかり底辺からサポートする素晴らしい演奏者! そしてさらには、視覚障害がある彼等をガイドするヘルパーでもあった。そこには彼の、全く迷いがない何か信念のような生き様、矜持を私は感じた。

 

一部と二部の間、友情出演の別のユニット演奏中、一番後ろの隅にいた自分の近くに休憩中のKさんが来た。自分はトントンと後ろから合図し、声に出さないけど、「お久し振り!」で、互いに固い握手をした。Kさんも喜んでくれていたと思う。握手が再度なされた。ゲストユニットの演奏中だったので、話もぜず一旦別れる。

 

自分は事情で夕方には戻らなければならなかった。演奏終了後に、久し振りにKさんと話せたらとも思っていたのだが、その真摯な演奏に、自分はKさんの生き様を見せつけられた気がして、正直、圧倒されていた。『◯◯さん(自分の名前)、私は今、こんな風に生きてます。あれから、◯◯さんは、どう生きておられるのですか?』そう問われてる気がした。

 

Kさん、今日はありがとう。自分も自分なりに自分の使命とやらを遂行してるところだよ。またゆっくり会おう!

打ち上げ等でKさんも多忙だろう。自分は遅くまでいれない。

コンサート終了直後、受付の方に、ささやかプレゼントと今日の感謝のメモを言づけ、余韻残る会場を後にした。

 

 

本日もご訪問ありがとうございます。それでも良い事がありますように!

 

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