稲刈りを手伝う。

師匠の田圃にて。

111101(火)晴れ 午後、家前の遠くに見える師匠の田圃で、機械作業音が聞こえ始めた。週末ごと天気が崩れ、延び延びになってる稲刈りをやり始められたようだ。自主的に手伝いに行く。

息子Tさんの作業を見守るY師匠。
息子Tさんの作業を見守るY師匠。

師匠は名前をYさんという。自分が勝手に師匠と呼んでいるだけで、Yさんにとって、そう呼ばれることは本意ではない。寧ろ迷惑がられてることと思う。Y師匠は自分が最初に田植えした時、機械を貸して下さり、また、耕耘機で耕耘の仕方を自ら体張って教えて頂いた。その様子はこれ。

 

Y師匠は昨年奥さんを亡くされ、自分の兄くらいの息子さんと2人暮らしだ。今年でもう81才になられる。この惑星ハシグチの長老のお一人だ。今や絶滅寸前だと思う、古き良き日本人の心をお持ちで、神様のように何処までも善人であられる。息子さんが今日は仕事を休んでコンバインで稲刈り作業中だ。その息子さん、Tさんにも挨拶して手伝い始める。

 

「よかよ〜手伝わんでも〜」と師匠はおっしゃるのだが、2年間お米作った短い経験からも、稲刈りはとにかく人手があった方が良い。自分はネコ(一輪車)を持参して、コンバインが作り出すお米袋を、車に積み出す田圃の端の場所まで運ぶ。師匠も半ば呆れたのか、自分を好きにさせて頂く。感謝!

一輪車のお米、結構重いのデアル。
一輪車のお米、結構重いのデアル。

久し振りに田圃に入った。久し振りの田圃は、先日からの雨の影響で岸の方は未だ十分乾いてなくぬかるんでいる。田圃に実際に入った事がある方はお判りだと 思うが、田圃の中は思った以上に凹凸があり、足を取られ歩きにくい。水の中を歩く程まではないが、それに似た負荷がある。

 

一輪車に載せるお米は結構重い。凹凸の田圃は運びにくい。また、コンバインが刈りにくい田圃の岸の、バインダー(稲刈り機)で刈られた稲集めは、何度も腰を曲げて取る。腰も結構きつくなる。

 

つまり、お米を作り、最終形態まで持って行くのは、そうそう簡単な作業ではないということを自分はここで言いたいのだと思う。

 

しかし同時に、人生で全く田圃に縁もなく、田圃に入ったこともない方に、それを感じてもらおうとするのは絶望的な事だとも思ってもいる。「判りっこないだろうなぁ〜」と。実際、知る機会も少ない。自ら知ろうとする人は遅かれ早かれ知ることと思うが、そう関心ない人は向こうから知る機会が来ない限り、永遠に知らないままだと思う。

 

しかし、それがどうしたと自分は言いたいのか? そんなもの、どの業界だって同じではないか。自分が農地と縁のない場所に生まれていたとして、田圃の稲刈りにわざわざ手伝いに出掛けるかどうか、甚だ疑問でもある。

 

そういった訳の判らないコトを思いながらも、作業をした。師匠、微力ですが、手伝わせて頂き、まことにありがとうございました!

 

本日もご訪問ありがとうございます。それでも良い事がありますように!

 

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コメント: 2
  • #2

    planetary-n (土曜日, 05 11月 2011 14:34)

    sasorisaさん、お久し振りです。お変わりありませんか? 書き込みありがとうございます。
    そうですね。確かにきついと言っても、単に肉体的なそれですね。

    それより、秋の日に自然の良い空気の中で体を動かすことが出来るのは、ある意味贅沢なことで、感謝すべきことなのですね。そういうフォローが足りないブログだったと後で思っていました。

    そういう補足をsasorizaさんの書き込みのお陰で出来ました。ありがとうございます。今は暖かいですが、来週は寒くなりそうですね。どうぞ、ご自愛下さい。

  • #1

    sasoriza (土曜日, 05 11月 2011 11:46)

    きついお手伝いされて、何かをしなければとの思いに快い達成感味われたのではないでしょうか、お疲れ様でした!