2014 夏旅回想6~(完結編)旅のおわり

           

          旅のおわりに

 


自分の場合、旅から帰って来て、旅先の場所についてまた調べたくなる。その場所に訪れた後、何やら色々謎が湧いて来るのだ。そして旅の途上では気付かなかった事柄を、「そうだったのか!」と発見する。場所の印象と理解がさらに深まる感じかする。気のせいかもしれないが…。

今回の2014聖地巡礼夏旅も、事前の準備が浅かったせいか、旅後に実に様々なことに気付かされた。いずれも今現在の自分の理解水準であることをお断りしつつ、判ったことを備忘録として以下にまとめておきたいと思う。


         すべては繋がっている

 


 1、大神神社と三島由紀夫

今回の旅の最初、博多の友人T宅で、唯識(ゆいしき)の話が友人Sさんから出て来た。その時、友人Tは「唯識は三島由紀夫の最後の長編作品『豊饒の海』('69-'71出版)でテーマにしたものだよ」と自分に教えてくれた。(そのあたりは、この回想シリーズ参照)

旅から帰り、三島由紀夫の『豊饒の海』を調べていて驚いた。ご存知の方も多いかと思うが、この長編遺作は、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全4巻から成る。その第2部『奔馬』で、なんと大神神社や三輪山が登場するのだ。

 

第2巻の主人公が、大神神社の境内で剣道の試合をやり、三輪山の三光の滝で禊をやる。『豊饒の海』未読の自分は、このことを全く知らなかった。奈良に来る前日の友人の何げない言葉が、かように繋がるとは…。

 

また、鎌田東二著『聖地感覚』('08年発行)によれば、三島由紀夫は、この作品を構想するにあたって、大神神社及び三輪山中に3日間参籠したそう。また、自決する1ヶ月前にも10日三輪山中の滝場に籠っていたそう。ウ〜〜ム・・・!


2、大神神社と出雲大社

大神神社の祭神は「大物主神」(おおものぬしのかみ)と呼ばれる神様で、大物主神は出雲にある出雲大社に祀られている「大国主命」(おおくにぬしのみこと)の和魂(にぎみたま)、つまり異名同神。ざっくり言えば大神神社と出雲大社は同じ神様。そういうことは全く知らなかった。



               「十種神宝」の謎

 

神道の中でも謎中の謎とされるものに、十種神宝(とくさのかんだから)というものがある。物部氏の遠祖が、遥かな太古、天津神の命を受けて、饒速日命(にぎはやひのみこと)が、高天原から天磐船(あまのいわふね)という飛行船?に乗り天降った時、アマテラスから授かった神宝、またはそれを用いて行う鎮魂法のことである。死者をも甦らせるほどの霊験があるとされている。

 

これが、今回訪ねた聖地に色濃く関係してることが判った。

十種神宝の内容は以下の通り。
   

 •    沖津鏡(おきつかがみ)
    •    辺津鏡(へつかがみ)
    •    八握剣(やつかのつるぎ)
    •    生玉(いくたま)
    •    死返玉(まかるかへしのたま)
    •    足玉(たるたま)
    •    道返玉(ちかへしのたま)
    •    蛇比礼(おろちのひれ)
    •    蜂比礼(はちのひれ)
    •    品物之比礼(くさぐさのもののひれ)

 

            謎の十種神宝図

 

 

 


1、石上神宮 
 
日本書紀に記された神宮は、伊勢神宮と石上神宮だけ、という日本最古部類に入るこの神宮の祭神は、布都御魂大神 (ふつのみたまのおおかみ)。これはこの十種神宝に宿る御神霊を称えた名のことである。毎年11月の鎮魂祭では、十種神宝の秘図を用いる。


2、高野山

唐留学から帰国した空海は、嵯峨天皇の勅命を得て伊勢神宮の内宮に参籠し十種神宝図を転写している。これを『十種宝高野山本』として高野山に伝え「天照大神十種神寶 奉於伊勢寶殿寫之耳」と記してる。(ウェブ内探せば画像アリ)

 

十種神宝が祀られてる石上神宮の位置を考慮して高野山を開いている。

  地図:HP『日本とユダヤのハーモニー』より借用させて頂きました。


3、出雲大社

十種神宝のひとつ、蛇比礼(おろちのひれ)は大国主(おおくにぬし)の神話に出てくる比礼との関係が注目される。古事記に、大国主が須勢理毘売(すせりひめ)の父である須佐之男命(すさのおのみこと)に会う為、根の国に(幽なる世界)へ行く場面がある。そこで須佐之男に蛇のいる部屋とムカデと蜂のいる部屋に閉じ込められるが、須勢理毘売から授かった領巾(ひれ)を使いその難を逃れる。その領巾が蛇比礼。


石上神宮と出雲

古事記ではスサノオが持っていた十拳剣(とつかのつるぎ)からアマテラスが3柱の女神を産んでいる。最も有名なのは、出雲でのヤマタノオロチ退治の時にスサノオが使った十拳剣(別名「天羽々斬(あめのはばきり)」。“羽々”とは“大蛇”の意味)で、ヤマタノオロチの尾の中にあった草薙剣に当たって刃が欠けたとしている。この剣は石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)に祭られ祟神天皇の代に石上神宮に遷された。石上神宮ではこの剣を布都斯魂剣(ふつしみたまのつるぎ)と呼び、本殿内陣に奉安され祭られている。


大神神社の箇所で書いた、三島由紀夫『豊饒の海』の第2巻は、右翼の青年が主人公である。そもそも日本神話とか神道だとか話題にすると、国粋主義、あるいは民族主義的右翼ではないか?と誤解されるかもしれない。しかしそれは違う。自分はそういう3次元的なイデオロギーには、もはや興味はない。

 

古神道や神社に興味を持つとおのずと日本神話を探求せざるを得なくなるのだが、神話とは半田広宣氏がレクチャーで言うように人間世界の話ではないのだと思う。神々の世界は、高次元世界なのだと自分は思う。そのメタファー(隠喩)として擬人化した神が在るのだ。そのあたりは冷静に読み解いて行きたいものである。

 

日本神話の世界には個人的にはこれまで親しんで来なかったので、いきなりの難しい固有名詞の数々に戸惑いを隠せない。隠さなくていいと思ってる。

 

また、この神話や神社、あるいは古代史方面は、既に詳しい研究者が多数存在し、ウェブを見ても熱心なHPが多い。最近興味を持ったばかりの自分等は足下にも及ばない。及ばなくていいと思ってる。自分は自分の流れで良い。

 

 


             聖地とは何か?

 


自分で聖地巡礼と銘打って行って来た旅だが、巡礼しながらも、そもそも聖地とは何なのか?、聖地の定義は何? 何故そこは聖地になり得たのか? そしてなり続ける理由は? という疑問がずっとあった。それについて考察するが未だまとまらない。時期尚早なのかも知れない。もう少し色々経験しあらためて書いて見たい。

 

 

本日のご訪問有り難うございます。良い事がありますように!

 

 

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